4月上旬の週末。
朝の澄んだ空気の中車を走らせて
長野の山あいへ向かいました。
今回の目的地は、長野県の南信
伊那・駒ヶ根あたりのエリアです。
春の訪れを感じながら
山桜が咲き誇る道を抜けて
たどり着いたのは、
山の中にひっそりと佇む
小さな神社でした。
杉木立に囲まれた石段を登ると
静けさに包まれた木造の社が現れます。
誰もいない境内では
鳥の声と風の音だけが聞こえ
まるで時間が止まっているかのような
感覚に包まれました。
賽銭を入れ手を合わせ、
「今日もありがとう」
と心の中でつぶやくと
自然と肩の力が抜けていくのを感じました。
昔の人たちは、
こうして自然や命に感謝する
気持ちを大切にしてきたのだと思います。
改めて、
この文化は本当に
素晴らしいと感じました。
その後、
車を走らせて立ち寄ったのは、
「直売 旬彩館」
という地元の直売所です。
看板の少し色あせた文字が
この地域の歴史を
物語っているようでした。
中に入ると、
地元のおばあちゃんたちが作った
お惣菜がずらりと並んでいました。
「これ、おから。味つけ濃くないから
子どもにもいいよ」
そう声をかけてくださった
笑顔がとても温かく
胸がじんとしました。
購入したお惣菜を
外のテーブルでいただきました。
卯の花や煮物
こんにゃく
おからコロッケ。
どれも素朴で
でもどこか懐かしく
心に沁みる味でした。
子どもと一緒に
おいしそうに頬張るその時間が
何よりのごちそうだったように思います。
遠くには、まだ雪の残る山々が
静かに連なっています。
田畑の向こうに見える家々と
その間を通るゆるやかな風景。
派手なものは何もありませんが、
「何も足さなくても満ちている」
豊かさが、そこにはありました。
帰り際、娘が、
「また来たいね」
とぽつり。
その言葉に今日のすべてが
詰まっているような気がしました。
最近、
「日本は不景気だ」
とか、
「将来が不安だ」
といった話題をよく耳にします。
確かに統計やニュースを見ると
そうなのかもしれません。
でも、
こうして自然に囲まれ
やさしい人たちとふれあい
おいしいものを食べていると、
不思議とそんな空気を
まったく感じなくなります。
むしろ、
この景色とこの時間の中には
もうすでに“必要なもの”が
すべてあるようにさえ思えました。
たとえば、
大都会、東京のビル群の中で
感じる閉塞感や
未来への不安。
それとはまったく別の世界が
ここには広がっています。
経済的な数字だけでは測れない、
「心の豊かさ」
「人とのつながり」
そして、
「自然のめぐみ」
そういうものを
守っていけるかどうかが、
本当の意味での“国の豊かさ”を
決めるのかもしれません。
もちろん、
現実は厳しいです。
田舎に住む人たちも
後継者不足や高齢化と向き合っている。
けれど、それでもここには、
「丁寧に暮らす知恵」
と、
「人を思いやる文化」
が、確かに残っています。
その文化をどう受け継ぎ
どう支えていくのか。
答えはすぐには出せないけれど
こうして一度足を運び
感じることが、まずは
小さな一歩なのかもしれません。
便利さやスピードだけが正解じゃない。
のんびり、やさしく暮らすことにも
大きな意味がある。
そんなことを
改めて思い出させてくれた旅。
帰ってきてそうそう
また長野へ行きたくなりました。