こんにちは、森です。
最近、知り合いの娘さんが
フィリピンの大学に通っている
という話を聞きました。
高校から1人で現地に渡り
インターナショナルスクールに
通いながら英語漬けの生活。
今では英語もペラペラで
自分の好きなことを見つけて
のびのび暮らしているそうです。
そしてその知り合いに、
「森さんも、日本の学校には
あまり行かせない方がいいですよ」
と言われたんです。
「娘さんたちの可能性が“均一化”
されてしまうのはもったいない」
と。
確かに、
自分でもいろいろ考える中で
納得してしまうところがありました。
日本と海外やロシアの教育、子どもをどう伸ばすかの違い
日本ではどんなに才能があっても
それを伸ばすより、
「平均点をとること」
が優先される。
たとえば数学が飛び抜けて得意な子にも、
「体育もやれ」
「音楽もがんばれ」
とバランスばかりが求められる。
できない子には
丁寧なサポートがある一方で
できる子には、
「黙って待っててね」
が多い。
なんだか、才能が潰されていく
構造がある気がします。
知人が言っていた、
「日本の学校=サラリーマン要請所だよね…」
って言葉に妙に納得してしまった。
僕ら家族は今は
ロシアを拠点に暮らしていて
子どもの教育も基本的には
ロシアをベースに考えています。
ただ、日本語も大切にしたいので
年に4ヶ月ほど日本に滞在して
日本語に触れる時間を
意識的につくっています。
ロシアでは、
才能のある子を伸ばす環境が
しっかり用意されています。
たとえば、以下のような
専門分野別の学校があります:
*ギムナジウム=
大学進学を目指す中等学校や
スポーツ用のトレーニング施設
1. 数学・物理に特化したギムナジウム(例:モスクワ物理工科大学附属校)
2. 音楽やバレエに特化した学校(例:ボリショイバレエ学校)
3. 外国語教育に特化したリツェイ(語学ギムナジウム)
4. プログラミングやIT分野に特化した中高一貫校(ITギムナジウムなど)
どれも試験や選抜はあるけれど
いったん入ればその子の才能を
最大限に活かそうとする教育が施される。
飛び級の制度も柔軟で、
「できるなら先に行っていい」
という発想が根底にあります。
つまり、
「違っていい」が前提なんです。
なぜ日本では“違う”が受け入れられにくいのか?
一方で日本は、
「みんな同じ」
に揃える前提で動いていることが
多いように感じます。
個性よりも協調
得意なことより苦手を克服させること
に重きを置いている。
これは教育の話に限らず
大人の社会でも同じですよね。
サラリーマンじゃない
というだけで叩かれる。
・起業してる
・自分でビジネスしてる
・海外に住んでる
というだけで「フラフラしてる」
と言われる。
でも、自分の頭で考えて
自分に合った生き方をしてる人こそ
本当は一番責任を持って
生きていると思うんです。
調べてみたら、ドイツの教育はもっと自由だった
さらにいろいろ調べていく中で
ドイツの教育制度が
とても興味深いことを知りました。
あくまでネットで調べた情報ですが
ドイツでは、
「学校=授業を受ける場所」
というスタンスが徹底されていて、
入学式・卒業式は形式的ではなく
文化祭や体育祭もほとんどありません。
授業外活動が“ゼロ”に近く
教育の中心はあくまで
「学びの質」です。
授業中も自由が認められていて
席を立ったり床に座ったり
しながら話を聞く子どももいる。
聞く姿勢よりも
何を学び取っているかが
重視されるんです。
また、SBL(Selbstbestimmtes Lernen)
という自主学習時間が設けられ、
自分で学ぶ内容を決めて
行動するスタイルが根づいているよう。
宿題も禁止されていて、
「自立」と「選択」が
大前提になっている点が
とても印象的でした。
成績評価にも情けは一切なく
できなければ留年。
厳しいようですが
それが逆に子どもたちの
「主体性」や「責任感」
を育てているとも感じます。
海外に教育の可能性を見出す日本人の増加
僕自身、娘たちには、
「ちゃんとしなさい」
じゃなくて、
「自分で選びなさい」
と伝えたい。
だからこそ、教育の軸を
ロシアや他の国に置く
という選択をしています。
日本の教育がすべて
悪いわけじゃない。
礼儀や集団行動、秩序を学ぶ面では
世界でも誇れる部分がある。
でもそれだけじゃ
これからの世界では生き抜いていけない。
実際に僕自身、起業・海外移住してから
一番困ったのは、
「自分で決める力が育っていなかったこと」
でした。
正解のない世界で
“どうしたいか”を問われ続ける中
この考え方を少しずつ書き換えていくのに
本当に時間がかかりました。
多様性、自己選択、自由、創造性。
そういったものを育てられる環境を
親としては選びたい。
このブログを通して
日本の教育を「否定」するのではなく
「選択肢は他にもあるんだよ」ということを
そっと伝えられたらいいなと思っています。