こんにちは、森です。
今日は「一人旅」について
僕の体験をもとに書いてみようと思います。
正直に言うと、僕はずっと、
「誰かと旅をする人間」
でした。
友達と、恋人と、会社の仲間と。
旅行はいつも誰かと一緒で
行き先も、予定も、ほとんどが
“付き合い”の中で決まっていった。
でも、
あれは25歳くらいだったかな。
なぜかふと、何の目的もなく
長野県を一人でブラブラする旅を
してみたんです。
ほんの数日だったけど
それが僕にとっての、
「初めての一人旅」
だった。
それまでは、誰かの案内があって
詳しい人についていく
そんな“受け身の旅”が当たり前だったけど、
自分で宿を探して、電車に乗って
知らない土地を歩いてみると──
不思議なことに、自分の感覚がすごく
研ぎ澄まされていくような感覚があった。
旅が「強烈な記憶」となるとき
2013年には弟と一緒に
インドにも行きました。
この旅は今でも忘れられないほど
強烈でした。
街には、
野生のイノシシ、さる
羊、ヤギ、牛、犬、ネズミ。
あらゆる動物がゴミを食べていて
まるで現実じゃないような光景。
夜行列車は12時間たっても来ない。
詐欺師はウザいほどしつこい。
でも、
そんなインドの混沌の中で食べた、
「アルゴビ(カリフラワーのカレー)」
は、とんでもなく美味しかった。
旅って本当に不思議で
つらいことも驚いたことも含めて
「全部が思い出になる」んですよね。
「本当の一人旅」は、NYとマイアミだった
振り返ってみると僕が“ほんとうに一人で”
海外へ行ったのは会社を辞める直前
20代後半のころでした。
行き先は、ニューヨークとマイアミ。
当時見ていた、
『マイアミ・バイス』
の映画に憧れて
マイアミでオープンカーのマスタングを借りて
スペイン語のラジオを流しながら
キーウェストまで海沿いの道をかっ飛ばした。
あのとき感じた「開放感」は
今でも僕の中に残っています。
ニューヨークでは24時間営業のダイナーで
分厚いステーキをひとりで食べました。
真夜中のマンハッタンの街を歩きながら、
「今、僕は誰にも縛られてない」
と感じたんです。
このとき、僕ははじめて、
「自由ってこういうことか」
と実感したんだと思います。
誰とも共有しない旅は
心に深く刻まれる。
もちろん、
誰かと一緒に行く旅には楽しさがある。
でも、
一人旅には、誰にも邪魔されない、
「心の動き」
があるんです。
嬉しかったことも
寂しかったことも
怖かったことも──
誰かに話すわけじゃないからこそ
ちゃんと「自分の記憶」として残っていく。
それが、後になって
ふと人生の選択に影響を与えたり、
「自分の本音」
に気づくヒントになったりする。
僕が一人旅で得た、たったひとつのこと。
いろんな旅をしてきて
いろんな国を見てきて、
そのすべてが、
今の僕をつくる材料になっています。
でも、
どれか一つだけ、
「旅から得たこと」
を挙げるとしたら、
それは──
「自分の感覚を信じて動いていい」
ということ。
正解は誰にもわからない。
ネットにも、親にも、上司にも。
でも、
自分が「こっちに行きたい」と思ったら
たとえ不安でも、その感覚を信じて動く。
旅の中では、それが何度も正解でした。
逆に、人に合わせて決めた選択は
どこか味気なかった。
だからこそ、
これからも旅を続けていきたいと思うし、
迷っている人には、こう伝えたい。
「正解を探す前に、自分の感覚を信じて
ちょっと遠くまで出かけてみて」
一人旅は、不安とワクワクの混ざった
ちょっと不思議な時間。
でも、その中には、人生でいちばん大切な
“何か”が、たしかにあるんです。